下山貴美子★アルガンオイル★エンタメ

NGT48も松本人志も救う? “地獄見た”指原莉乃の神がかった対応力!

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ここ最近のNGT48の騒動について、HKT48指原莉乃が行った13日『ワイドナショー』(フジテレビ系)での発言が称賛されている。AKB48グループの一員ながら運営側の対応を厳しく批判、しっかりとした私見を述べたことに、SNSなどでは「よく言った!」との声が。さらに、問題になりかねなかった同番組の松本人志による発言をも、15日のTwitterで華麗にネタに昇華。もはやいちアイドルとは言えない、指原の対応力の源とは?

 

■『ワイドナショー』でNGT48騒動に言及、当事者側の立場から厳しく批判

 今月8日、NGT48の山口真帆が、男性2人に暴行被害を受けたこと、運営に相談しながら何も対処がないことを告発。これには運営側に激しい批判が集まり、運営側は10日に公式コメントを発表。ところが、その内容に対しても再びバッシングが巻き起こった(後日、あらためて会見で説明)。そんな騒動を受け、13日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)に出演した指原莉乃は、運営を厳しく批判。視聴者から大きな称賛を浴びることとなった。

 指原は運営側について、「誰がトップなのか、誰が仕切っているのか、私ですらわからない」と、現状を説明。公式コメントについても、「名前も出ず、顔も出ず、誰が書いているかもわからないコメントを中途半端に出して。こういうときに誰が最初に動くのかを仕切らない」と、疑問を呈した。AKBグループに属しながらも毅然と運営側を批判する指原の姿勢には、SNSでも「現役で言えるギリギリの範囲まで言ってて素晴らしかった」「被害者に寄り添った優しくも強い発言。本当に立派」「さっしーしかできないコメント」と、絶賛の嵐が巻き起こった。

■セクハラに発展しかねなかった松本人志の発言をも華麗に昇華、正真正銘の“神対応

 一方で、同番組ではもう一つ問題が勃発。松本人志が指原に対して発した“発言”が、世間から厳しく批判されたのだ。NGT騒動について、「私が(運営トップに)立っても何もできない」と語る指原に、松本は「お得意の体を使ってなんかするとかさ」と発言。これには、「良識を疑う」「シャレにならない」「全然、面白くない。どうかしている」と批判が殺到。2人の関係性を汲んだやり取りながらも、一般視聴者のみならず、脳科学者の茂木健一郎や元TBSアナウンサーでエッセイストの小島慶子ら識者からも非難の声が上がった。

 だが、この“炎上”にストップをかけたのもまた、指原である。松本への批判が止まらないなか、指原は15日にTwitterを更新。『ワイドナショー』出演時は緊張し記憶がないことに触れ、「改めて録画をチェック……松本さんが干されますように!!!」と、セクハラ発言を絶妙に“ネタ”に昇華して見せた。この対応には前述の茂木も、「ほんとうに偉い!」と称賛。渦中の松本自身、「指原様~」と炎上を沈めた指原に対し感謝のツイートを送っていた。メディアでの表現に厳しい目が向けられる昨今だけに、炎上のみならず、BPO案件にまで発展しかねなかった今回の松本の発言。それを単なる弁護ではなく、笑いにまで持っていった指原の言動は、まさに“神対応”と言えるだろう。

■普通のアイドルとは違う、自身のスキャンダルいじりも辞さない許容量

 指原の対応力の高さは以前から言われており、実際にそれが現在の活躍に繋がっていることは周知のとおり。だが、最近の硬軟織り交ぜた彼女の発信力は、特筆すべきものがある。なぜ指原は、このような力を身につけることができたのか? それはやはり、彼女の特異な芸能界サバイブ術に関係がありそうだ。

 指原が注目を集めるようになったきっかけは、ブログ『指原クオリティー』。さらに、そのバラエティー力が買われ、2011年にはAKB48メンバーでは初の単独冠番組『さしこのくせに~この番組はAKBとは全く関係ありません~』(TBS系)が放送、同年『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のレギュラーにも抜擢された。翌年の『AKB48選抜総選挙』では4位に浮上し、アイドル、タレントとしての階段を順調に駆け上るかに見えた。ところが、そんな最中に『週刊文春』により男性スキャンダルが発覚し、涙の謝罪。ペナルティとして福岡を拠点とするHKT48へ移籍することが発表された。

 当時、ネット上では指原に対する誹謗中傷が相次ぎ、“指原叩き”は簡単には収束しなかった。しかし指原は、普通のアイドルなら御法度の自身の“スキャンダルネタ”で笑いをとり、裏表のないキャラクターが世間に浸透。総選挙で三連覇するほどの人気を得た。昨年4月放送の『王様のブランチ』(TBS系)では、「マジで私が文春砲のパイオニア」と語るほど、芸能人としての器の大きさ、ピンチにおける対応力を見せている。

■教育係、劇場支配人としてHKTを躍進させた指原、「運営トップに」の薦めも

 とはいえ、単なるバラドルだけで終わってもいない。HKT48移籍後にメンバーの教育係を任された指原は、2013年にHKT48劇場支配人も兼任。その自己プロデュース能力の高さはグループにも引き継がれ、HKT48を躍進させるに至った。

 まさに“たたき上げ”であり、メンバー教育や運営側の視点すら持った指原。これらの経験こそが、今回のNGT騒動への毅然とした態度に繋がっているのではないだろうか。前述の『ワイドナショー』でも古市憲寿から「NGT運営のトップになれば?」と勧められていたが、もはや一アイドル、という扱いではない。さらに、スキャンダルや「私もあとをつけられたことがある」といった経験があるからこそ、彼女の言葉は説得力がある。AKBグループの創始者秋元康が発言を控えている今、渦中のNGT48を守り、全グループの精神的支柱になっているのは指原だと言えるのではないだろうか。「運営トップに」と勧められるのもうなずける話である。

■かつて地獄を見た指原、揺れるAKBグループの救世主となるか?

 人気絶頂の中、スキャンダルで地獄を見ながらも、そこから這い上がってきた指原の経験値は、並みのものではない。自著『逆転力~ピンチを持て~』では巨大掲示板に頻繁に出入りしていたことも明かしており、言動がネットでどう受け取られるかも熟知している。ブログやバラエティーでは、文章力や発言力も培ったのだろう。松本の発言への対応を見てもわかるとおり、真面目すぎず、笑いに走り過ぎず、自分のみならず他者をも救う絶妙なセンスは、そうそう真似できるものではない。

 アイドル、タレントであることは間違いないものの、指原の芸能界での立ち位置は、これからさらに上昇していくように思える。男性でいえば、多くの芸能人や番組にも影響力の大きい、中居正広のような存在になっていくのではないだろうか。ピンチをチャンスに変える力を持った指原が、今後どう動くか。これまで蓄積した力を発揮することで、指原はAKBグループをまとめていく救世主となるかもしれない。

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京本政樹、60歳になっても変わらぬ美貌の秘訣と、変わらないからこその悩み

 

「“いったん、ひと区切り”という印象を受ける“還暦”という言葉に抵抗があったんです。それで、去年の頭に“完暦を目指して”と表現したら、悲しまれるファンの方がいらっしゃって。(芸能生活を)完成させる、終わらせる暦だと思われたみたいです。違うんですよ、人生を完全な歴史にするための通過点のひとつと考えて“完暦”なんです」

 

 1月21日に60歳を迎える亥年生まれの年男であり、今年が芸能生活40周年という節目にもなる京本政樹。『必殺仕事人V』の組紐屋の竜を代表とする、おなじみの時代劇はもちろん、『高校教師』『家なき子』などの大ヒットドラマや“京さま”と親しまれるバラエティー番組に出演。さらに、シンガー・ソングライターであり着物デザイナーと幅広いフィールドで活躍している。何より驚くのは“元祖ビジュアル系”といわれる変わらない外見。

「この30年ほど、生活が全然変わっていないんです。28歳くらいのころかな、スキューバダイビングにハマってね。朝からTボーンステーキを食べて、気にせずに日焼けもした。そうしたら、ファンの方からの手紙に“最近、顔が丸くなってきた”って書いてあって。僕、身長が178センチで体重62キロがベターなんですけど、そのとき65・5キロに。日焼けをしすぎたせいで、時代劇の舞台のメイクもうまくのらない。そんな経験から生活を1日1食にして、日に焼けることもいっさいやめました。暴飲暴食もしないし、アルコールもほとんどなくて平気。あとは、お風呂に入ったみたいで気持ちいいから、よく蒸しタオルでゴシゴシ顔をふくんです。そのあと、氷水でしぼったタオルでしめる。それがいいのかもしれない」

変わらぬ美貌ゆえ悩んだことも

 変わらぬ体形とシワのない美貌の秘訣を教えてくれた。反面、その容姿ゆえに悩んだことも。

「最初の打ち合わせで“そのままで”と言われても、衣装を着たときに“白髪のウイッグをかぶってください。次は、メガネを。それでも若く見えるからシワ書きますね”と。それは、京本政樹という役者、自分自身を否定されている感じがして」

 目指しているのは、現代劇よりも時代劇。自身を導いてくれた諸先輩が演じていた娯楽時代劇全盛のころの美剣士なのかもしれない。そう思い始めたころから変わらぬビジュアルを生かすオファーが届くようになった。

「1~2年前は、もう役者としての自分を追求することはやめて、音楽や時代劇をプロデュースする側に専念しようかとも考えていました。それが60歳を目前に映画『翔んで埼玉』(2月22日公開)で伝説の人物・デュークを演じてほしいというお話をいただいたんです。より人物像が出せるのではと、銀髪のロングのかつらをかぶることを提案させていただいたりして。このデュークから始まり、詳しい内容はまだお話しできないんですが、かなりハードなアクション作品も撮影しました。時代って、本当に回るんですね。

 これまで時代劇で培ってきたものをどう生かし残せるか、継承していけるか、それができる年になったと思っています。師匠である大川橋蔵さんが、当時の若い僕を見ていたときの目線がすごくよくわかる。“こいつ頑張ってるな”みたいな。生意気な言い方ですけど、そういう若手を導いてあげたい。だから、いま、相当、若い人にごはんをおごってますよ(笑)」

 

 

エンタメニュース♡下山貴美子アルガンオイル

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日テレ「イッテQ!」審議入り=BPO検証委

 

 放送倫理・番組向上機構BPO放送倫理検証委員会は11日、やらせがあったと指摘された日本テレビの人気バラエティー番組「世界の果てまでイッテQ!」について、審議入りを決めたと発表した。

 今後、制作関係者から事情を聞き、放送倫理上の問題があったかどうかなどを判断する。

 

うーん…

なんか悲しい(;_;)

下山貴美子★エンタメ

タキツバ『ジャニーズカウントダウン』で有終の美 

 

2018年9月に解散したタッキー&翼が12月31日と1月1日にかけて東京ドームで開催されたライブイベント『ジャニーズカウントダウン2018-2019 平成ラストの夢物語!ジャニーズ年越し生放送』に出演した。2018年をもって芸能活動を引退する滝沢秀明とすでに事務所を退所している今井翼が2人揃って異例の登場を果たし、夢のラストステージを繰り広げた。

 

 ライブ終盤、スクリーンに、これまでの2人の歩みが映し出されると会場の5万5000人のジャニーズファンは大歓声。『タッキー&翼 サンキューメドレー』と題して、「REAL DX」では山下智久生田斗真風間俊介長谷川潤がジュニア時代に結成し人気を集めていた“伝説のユニット”FOUR TOPSがバックダンサーとして豪華に華を添え、続く「Venus」では司会の国分太一TOKIO)と井ノ原快彦(V6)、ジャニーズ時代をともに過ごした嵐、関ジャニ∞KAT-TUNが表面は2人の写真、裏面は「タッキー&翼 23年間ありがとう」とメッセージが書かれたうちわで盛り上げた。 

 メドレーのラストは代表曲「夢物語」。Hey!Say!JUMP、Kis-My-Ft2Sexy ZoneA.B.C-ZジャニーズWEST、King & Princeらが集結し超豪華メンバーが全員でキレキレの振り付けで披露。そしてそこに、堂本剛の顔写真を背中に貼り付けた堂本光一東山紀之近藤真彦ら先輩たちが花束を持って現れるというサプライズで2人をねぎらった。

 そして、締めはかつて滝沢がリーダー的存在だったジャニーズJr.時代に定番曲だった「Can do! Can go!」を出演者全員でパフォーマンス。今井は「本当にすべての支えに感謝します」と万感の思いを込め、プロデュース業に専念する滝沢は「さらにジャニーズを盛り上げていきたいと思います!」と高らかに掲げた。

 フジテレビ系での放送後、今井は「みなさんありがとうございます。僕にとって2人にとってこのステージに立てたことは永遠です。これからもしっかりやっていきます。ありがとうございます」と改めてあいさつ。滝沢は「タッキー&翼として花道をつくってくださったみなさんに感謝したいと思います。これから今までと立場は変わりますが僕はジャニーズがだいすきなのでジャニーズを盛り上げていきたいと思います。引き続き、よろしくおねがいします」と背筋を正した。最後は司会の国分や井ノ原の提案で記念撮影が行われ、有終の美を飾ると万雷の拍手を背にステージを後にした。

 このほかにも今年デビューし一大旋風を巻き起こしたKing & Princeが『ジャニーズカウントダウン』初出演を果たして大歓声を浴びたほか、今年にデビュー20周年を迎える嵐、同じく来年にデビュー15周年を迎える関ジャニ∞が、それぞれ豪華デビュー周年記念メドレー、グループのヒット曲をシャッフルして歌唱する『グループチェンジメドレー』、グループの垣根を越えた『一夜限りのジャニーズシャッフルメドレー』など新年の始まりをきらびやかに飾った。

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下山貴美子さんアルガンオイル★エンタメ

平成紅白、サザンで締め

 

 NHKは27日、大みそかに放送する第69回紅白歌合戦の曲順を発表した。紅組のトリを3年連続で石川さゆりさんが務めて「天城越え」を歌い、白組のアイドルグループ嵐が2016年以来2度目の大トリを務め、スペシャルメドレーを披露。その後、特別企画枠で出演のサザンオールスターズがデビュー曲「勝手にシンドバッド」と「希望の轍」を歌い、平成最後の紅白を締めくくる。

 トップバッターは白組の「三代目 J Soul Brothers」で、次いで紅組の坂本冬美さんが歌う。

 

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時おり声を詰まらせ“天皇としての旅”ふり返られる...天皇陛下がご在位中最後の誕生日

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23日、天皇陛下はご在位中最後となる、85歳の誕生日を迎えられた。誕生日に先立ち行われた記者会見で、天皇陛下は時おり、涙で声を詰まらせながら平成を振り返られた。

(陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代が担っていくこととなるが、現在のご心境と、今、国民に伝えたいことは?)

この1年を振り返る時、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。

集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。

新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。

命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。

私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。

譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。

第2次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉(しゅうえん)を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。

世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。

終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々とわが国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。

そしてその翌年、英国のエリザベス2世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。

それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、わが国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。

昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。

沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。

皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。

沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。

先の大戦で多くの人命が失われ、また、わが国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。

平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。

そして、戦後60年サイパン島を、戦後70年にパラオペリリュー島を、さらにその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。

皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

次に心に残るのは災害のことです。

平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震奥尻島津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災平成23年東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。

ただ、その中で、人々の間にボランティア活動をはじめ、さまざまな助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。

また、災害が発生したときに規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。

障害者をはじめ困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。

障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。

パラリンピックをはじめ、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

今年、わが国から海外への移住が始まって150年を迎えました。

この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。

こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。

そして近年、多くの外国人がわが国で働くようになりました。

私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。

日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国からわが国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。

また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者がわが国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。

明年4月に結婚60年を迎えます。

結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。

また、昭和天皇をはじめ私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子どもを育てました。

振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。

天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の1人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心からねぎらいたく思います。

そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。

多くの関係者がこのための準備にあたってくれていることに感謝しています。

新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

今年もあとわずかとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。

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